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No.294 つば九郎の死:診断の難しい肺高血圧症

2025年2月25日


 東京ヤクルトスワローズの公式マスコット、「つば九郎」こと、足立 歩氏(52歳)が沖縄キャンプから移動中の空港で2月4日、急死したとの報道がありました。読売新聞の「編集手帳」には、重たい着ぐるみで役を演じきった氏の訃報に泣いた、とマスコットに徹したプロの仕事ぶりを偲んでいます(読売新聞、2025年2月22日)。死因は肺高血圧症でした。


 「肺高血圧症」は、呼吸器と循環器の両方に関係し、しかも、どちらにとっても解決の難しい病気です。患者さんを苦しめるのが動いたときの高度の息切れであり、疲れやすさです。

心臓と肺とは一体の関係で結ばれています。右心室から肺に送られる血圧は肺動脈を通り肺に達し、酸素と二酸化炭素を交換するガス交換を行い、酸素が多くなった動脈血を左心室から全身に押し出しています。肺の構造は繊細なので肺動脈の圧は極めて低く保たれています。体を流れる動脈では、例えば腕で測定すると120~130mmHg程度ですが肺動脈の圧は16mmHg(10~22mmHg)程度の低い圧に保たれています。しかし、肺にCOPDや間質性肺炎がある場合や、あるいは肺動脈そのものに病気があると異常に高圧となることがあります。これが肺高血圧症(PH)という病気です。


PHは複雑でわかりにくい病気です。PHの新しい考え方は昨年秋に、欧州の国際学会から定義、分類、診断を明確に決めたガイドラインの改訂版が発表されています[1]。歴史的には欧州グループが研究の推進に大きく貢献してきました。新しい有効な薬の発見への研究者、製薬企業の興味は強く、米国胸部学会からの速報(2025年2月22日)では、Seralutinibと呼ばれる新薬を72週間投与したところ、比較的軽症なPHでは安全であり、有効性が認められたと伝えています。


治療が可能である場合で厳密にPHを診断するには、スワン・ガンツと呼ばれる細いカテーテルを、静脈から右心室を経て肺動脈へ進め、その圧を直接、測定します。PHの治療薬が使われるようになりましたが、原因別に厳密に区別し、効果が強く予想されるときのみに処方されます。従って、その前の正確な診断が必要ですが検査による身体的な負担が大きいので限られた場合のみ実施されています。


肺高血圧症は、診断も治療も難しい病気の一つですが、ここで紹介する論文[2]は、原因が不明で肺高血圧が強く疑われる場合に簡便な方法で推定できることを示唆する論文です。

 ここでは、最初に最近の総説[3]により呼吸器の病気と関係する肺高血圧症を解説し、ついで文献[2]の内容を紹介していきます。




Q. どのようにして発見されるか?


・PHの症状と身体の徴候では特別なものは少ない。通常の症状では、労作性呼吸困難疲労を呈し、時間の経過とともに進行し、右心室(RV)障害を伴う重度のPHが発症する。


・PHの症状の特徴は、年齢、体調不良、または共存またはよく似た病気に起因することが多いため、他の病気と間違って診断されることがよくある。また、その結果、症状が重篤となるまで、あるいは病気が重篤になるまでPHが疑われないことがしばしば、ある。


患者の20%以上が、PHと認識されるまでにすでに2年間以上PHの症状があると推定されている。これは、36歳未満の患者や併存疾患のある患者で特に多い。




Q. 肺高血圧症はどのように分類されているか?


PHの患者は、病因とメカニズムに基づいて5つのグループに分類される。グループ分けをする理由は、それぞれのグループで治療方針が異なるからである。


グループ 1 :遺伝性の原因、薬物の副作用、膠原病などがあるPHを指す。

グループ 2 :心臓の左心室、左心房に原因がある。

グループ 3 :慢性肺障害、低酸素血症による場合。

グループ 4  : 肺動脈の閉塞による場合。

グループ 5  : 原因が不明。


呼吸器疾患との関係ではグループ 3が問題である。




Q. 慢性呼吸器疾患に伴う肺高血圧症の概略は?


図1に概略を示した[3]。


図1

出典: Olsson KM. et al. Lancet Respir Med 2023; 11:820-835.を一部変更。
出典: Olsson KM. et al. Lancet Respir Med 2023; 11:820-835.を一部変更。

 COPDと間質性肺炎(ILD)が重なってくると、CPFEという状態になる。この悪化に関係するのが、遺伝的な体質と喫煙習慣である。その結果、肺動脈の細い部分が途絶したり、内腔が狭くなる病変が起こる。肺動脈の変化が生ずると歩行時の息切れなどの症状はさらに悪化し、しかも治療が困難となる。


1)PHは、慢性呼吸器疾患でしばしば認められる活動時の息切れの症状の悪化傾向があり、酸素の取り込み障害は次第に悪化し、死亡率が高い。


2)呼吸器疾患に伴うPHは、膠原病など他の原因で生ずるPHとは発症の病態は異なる。前毛細血管(pre-capillary)の平滑筋の増生、血管内皮細胞の増生が起こり、血管の内腔が狭くなったり、途絶する(図1)。


3)確定診断はまずPHの可能性を疑うことである。肺機能検査、胸部CT、血液生化学検査(例、pro-BNPなど)、心臓超音波検査などが参考となる。

診断の確定は右心カテーテル検査であるが、診断が確定しても重症であり、必ずしも薬物治療に結び付かない場合には実施しない。


4)重症のCOPDや、間質性肺炎が合併しているCOPDに生じたPHの治療ではPHに対する治療は限られている。治療は、PHではなく元のCOPDや間質性肺炎などの基礎疾患に対して行う。


5)吸入薬Treprostinilが歩行などの運動能力を改善する効果が期待されている。しかし、現在、肺動脈の病変に対する根本的な治療法はない。


6)phosphodiesterase type 5阻害薬は個人差があるが有効な場合がある。




Q. 新しい診断方法の報告は?


 最近、PHの診断方法について報告した論文がある[2]。論文は、以下の2点でユニークである。22人のPHが強く疑われる患者に許可を得て以下の検査を実施した。


1)従来の、右心カテーテル検査は、安静にした状態か、厳重な監視下でカテーテルを入れたまま、トレッドミルを用いて負荷をかけ右心への負荷状態を観察し、診断する方法であるが本論文では、血行動態を運動中も危険が少ない状態で観察できる小さなワイヤレスの機器を開発し、有効性を証明した。


2)運動負荷の方法は、COPDの検査で、日常的に実施されている負荷テストである6分間平地歩行テスト(6MWT)を実施し、実施中の右心負荷の状態を記録するのに成功した。その結果、6MWTがPHの正確な診断方法に極めて有用であることを証明するに至った。


図2

出典:Kremer N. et al. Am J Resp Crit Care Med 2024; 210: 1486-1490.を一部改変
出典:Kremer N. et al. Am J Resp Crit Care Med 2024; 210: 1486-1490.を一部改変

 

小さなワイヤレスの機器により得られた情報を元に数学的な解析を加えて運動負荷時の肺動脈圧の変化を連続的に記録している(解析データの説明は割愛)。




Q. 6分間平地歩行テストとは何か?


・6分間歩行テスト (6MWT) は、COPD、間質性肺炎、肺動脈性高血圧症などの慢性肺疾患患者の身体機能と治療反応の優れた指標である。この検査は、新型コロナ後後遺症(long COVID)患者における重要な予後指標にもなっている。


・6MWTは、患者に手順を説明し、その後、医療者の監視下で実施する。


・健康人の被験者は通常400〜700m歩くことができる。総歩行距離に加えて、酸素飽和度低下の大きさ、心拍数回復のタイミング、息切れの変化が有力な治療の目安となる。


・6分間の歩行距離における有意な変化を理解するための研究は、慢性呼吸器疾患で実施されている。歩行距離が約 30 m の改善が最小重要差 (MID) であることを示唆している。パルス酸素飽和度と心拍数はテスト中に記録される。




 PHは、手軽にできる診断方法が確立されていない呼吸器、循環器の両方に関わる深刻な病気です。従来は、治療薬がない手探りの状態でしたが近年、新薬の開発が進んできました。簡便な診断が必要ですが、6MWTが有力な方法の一つであることを本論文は証明しました。ポスト・コビットの時代に入り、COPDで軽度の間質性肺炎を伴っている患者さんを診る機会が急に多くなりました。階段を上るときなど運動時の息切れが問題です。息切れは、COPDや慢性喘息、間質性肺炎に共通する治療が難しい症状の一つですが、治療効果を上げるには正確な診断が必須です。

 女性の喫煙者では、肺動脈の病変を起こしやすい、という論文を目にします。喫煙による病変は、女性により深刻な状態となるようです。改めて若い女性の喫煙習慣の危険を喚起したいと思います。

 6MWTは、私たちのクリニックでは精密な肺機能検査と並び、日常的に実施しています。簡単な検査ですが、多くの医学的な情報が得られるという点で便利な検査方法です。歩行速度が1m/秒以下になるとフレイルが疑われます(荒井秀典監修、フレイルハンドブック、ライフ・サイエンス社、2022年)。得られる距離からフレイルあるいはプレフレイルを簡便に診断できることも特徴です。

 約30mの直線廊下を利用して実施していますが、当クリニックで最も自慢できる設備の一つで、検査による緊張感を和らげるため、廊下の壁を緑に仕上げていることから私はひそかに、松の廊下と呼んでいます。歩行など、日常の生活の中で息切れを感ずる患者さんでは肺機能検査と並び簡便で重要な検査項目です。特に、ロング・コビット(コラム281, 293)で悩んでいる方には必要な検査項目です。




参考文献:

1.     Kovacs G. et al. Definition, classification and diagnosis of pulmonary hypertension.

Eur Respir J 2024; 64 (4):2401324.

 

2.     Kremer N. et al. Exercise limitation in pulmonary hypertension-physiological insights into the 6-minute walk test.

Am J Resp Crit Care Med 2024; 210: 1486-1490.


3.     Olsson KM. et al. Pulmonary hypertension associated with lung disease: new insights pathomechanisms, diagnosis, and management.

Lancet Respir Med 2023; 11:820-835.


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