2020年7月6日
1919年から1920年にかけて米国ではインフルエンザが大流行しパンデミックとなりました。「咳とくしゃみが広げる病気」が当時、予防のスローガンでした。今から100年前のできごとです。
1回の咳は、約3,000個、くしゃみでは約4万個の微粒子が空気中に放出されると云われています。
現在、世界的に大流行している新型コロナウィルス感染症(COVID-19)は、最重症化すれば急性呼吸窮迫症候群に至る深刻な感染症です (コラムNo.47参照)。COVID-19に感染した人のくしゃみ、咳で空気中に放出された微粒子は大量の新型コロナウィルス(SARS-CoV-2)を含むのでこれを吸い込むか、あるいは手に付着したウィルスを知らずに体内に取り込むことにより次の感染が始まります。
咳やくしゃみでどのように感染が起るのか。ここで紹介する論文は、呼吸器病学ではもっとも権威がある雑誌に掲載された論文[1]で、くしゃみと咳の科学的解明といえるもので緻密な考察を行っています。ここでは、その要点を紹介します。なお、咳については重複しますが(コラムNo.56,No.74参照)、この論文に即して要点にふれます。
Q. 飛沫感染、エアロゾル感染、飛沫核感染、とは何か?
・飛沫感染:患者の咳、くしゃみによって生ずる唾液などの粒子。直径5μ以上は約1m未満の飛散。
・エアロゾル感染:飛沫より小さい粒子。水分を含む。空気中に一定時間、漂う。
・飛沫核感染:直径5μ以下の軽い微粒子。1m以上の距離を移動する。
大きな粒子は、咳、くしゃみで空気中に放出されるが直ぐに落下し、定着するこの時の放出の強さで距離が決まる。
Q. くしゃみが起こる機序?
・鼻および喉への刺激➡深く息を吸い込む➡舌の後部が挙上し、軟口蓋、口蓋垂を前方へ強く圧迫する➡その結果、口に入り込む空気が遮断される➡空気が破裂するような状態で肺から空気が押し出される➡鼻腔の粘膜に付着した異物、刺激物が瞬間的に噴出される。
Q. 咳とは何か?
・咳は、気道内に貯留した分泌物や異物を気道外に排除するための生態防御反応である。
・二つの相に分かれて起こる。
圧縮相:胸郭の筋肉、横隔膜、胸壁の筋を収縮させる。
➡ 声門が閉鎖する ➡ 胸腔内圧が急激に上昇する。
呼気相:声門が急速に開放されることにより高い胸腔内圧により肺は外から押され強い呼気相を作りだす。最高では1秒間に12Lの空気が外部に押しだされる
➡ 気道に溜まった粘液を小粒子として吹き飛ばす。
特徴は、気体の流れに伴う粘液の流れが同時に同じチューブの中で起こること。すなわち、気道という細く枝分かれの多いチューブの中を水分と気体を同時に運搬することである。物性学には複雑な動きとなる。
刺激情報を受け取る仕組み:
迷走神経の枝である感覚神経は上気道の上皮細胞、食道、横隔膜、心臓に広く分布
➡ 刺激情報が延髄の咳中枢に届く。すなわち、咳を起こす刺激は肺だけに由来するのではない。
・入った刺激が咳を起こす仕組み:咳中枢に入った刺激は迷走神経を経由して横隔膜、腹壁、筋肉へと刺激を伝えていく。
以下がまとめである。
気道壁表層の咳受容体の刺激が迷走神経を介して延髄咳中枢に伝達され咳が発生する。
気道壁表層の咳受容体の感受性亢進を介する経路と、気道平滑筋収縮による平滑筋内の知覚神経の刺激を介する経路の2つがある。
Q. 咳の物性学とは?
・咳 ➡ 気道内の粘液と空気に速い流れが起こる。その結果、シェア・ストレスが生ずる。
シェア・ストレスとは痰の粘性と空気の速度勾配に比例する物理力をいう。
すなわち、この時に生ずる力は気道に対し垂直方向に作用する力(stretch)と気道表面の接線方向に作用する壁のずり応力である ➡ この力は気道表面を覆う細胞を空気の流れる方向へ歪ませる力が働く。
・空気の流速がもっとも速い部分は気管である。
・咳により胸腔内圧の急速な変化が起る ➡ この結果、気道が外力により瞬間的に押しつぶされる。これは気道内に溜まった粘液を絞り出す力学効果がある。
・正常な換気では、喀痰を外へ排出するために必要な流速は不十分であり、また不安定である。呼吸粒子は息を吸い込んだ後、閉じた終末細気管支が再解放されるときに作りだされる。
・咳や普通の会話では大きな微粒子(~100μ)が作られる。
それより小さな微粒子(1μ)は、正常な呼吸状態では細気管支レベルで作られる。
Q. 咳で作られる微粒子とは?
・咳で作られる微粒子は、0.62~15.9μ(平均8.35μ)である。ただし、ウィルス感染があれば粒子径が変化する可能性がある。
Q. スーパー・スプレッダーとは?
・会話で外界に飛び散る微粒子数には個人差が大きい。通常の人よりばらまく数が多い人が感染を広げるスーパー・スプレッダーである可能性がある。
Q. 粒子径の問題点は?
・大きな粒子は直ぐにとどまり、小粒子は遠くに届き、長く空気中に滞留する。
・直径60~100μの粒子は飛散後2m到達前に乾燥し、微小粒子に変わる。
・100μでは落下するまでに10分間。10μでは17分間、滞留するのに対し、1~3μでは長く滞留する。
➡ エアコンがあるレストランでは、感染ウィルスは広く分散される可能性がある。
Q. 感染患者の治療中の問題は?
・患者治療中の室内ではエアゾルが医療者にとって特に危険である(WHO)。
・口呼吸では呼吸粒子のばらまきが多く、鼻呼吸では少ない。
・呼吸器疾患がある患者の場合 ➡ 気道閉塞がある部位で大量の呼吸粒子が沈着する。閉塞した部分より末梢域では沈着粒子は少ない。
・インフルエンザ感染では、室内の湿度が流動空気粒子径(aerodynamic diameter:AD)と病原体を含む比率についてのデータが報告されている。
➡ AD>4μでは35%、1~4μでは23%、1μ以下では42%。小さい粒子が一律で危険というわけではない。
Q. 室内での感染に関わる因子とは?
・室温、換気、部屋のサイズ、空気入れ替えの頻度、空気の流れ、紫外線(日光)、室内にいる人の数、置いてある椅子、家具など。
Q.感染をどのように防ぐか?
・強い咳をしている患者の咳を抑え、感染性エアゾルの飛散を避ける。
・家族、医療者は可能なら2mの距離を保つ。
・救急治療室内での治療ではフィルターを置く。人工呼吸器使用下、酸素吸入、ネブライザー使用下が特にリスクとなる。
・患者にマスクをさせる。咳、くしゃみ、会話時が危険。
・医療者がPPE(個人防護具:personal protective equipment)を使用する場合には特に取り扱いに注意する。N95マスク使用では厳密な装着テストを行うことなど。
PPEは長く着る、多く診る、で危険が増す。脱ぐ際の危険が大きいことを忘れてはならない。
COVID-19の感染はヒトからヒトへと広がります。くしゃみや咳により空気中にばらまかれた病原体ウィルスSARS-CoV-2は、小粒子となった水滴の中に長くとどまり、それを吸い込んだヒトが次に発症していきます。
大きな水滴は、家具や手すりの表面に付着し、水分が失われ乾燥して、数時間~数日、とどまります。
感染の予防は、次のような基本原則により行われます。
1)感染しているヒトからウィルスが環境中へ放出されることを防ぐ。
2)空気中に浮遊する病原体を吸い込まない。また、付着したらよく手を洗う。
3)感染しやすいヒトたちを守る。
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